こんな夜に



 こんな夜に
 こんな切ない夜に
 愛は僕を救えるのだろうか

 ラジオから流れてくるその歌の歌詞に思わず私は涙してしまった。何のこと無いそこら辺に転がってる愛の歌なのだろうけど、どうして今夜に限って私の琴線に触れたようで、気がつけば表情一つ変えず涙を零してる私がそこにいた。

 夜は誰の為にあるのだろうと時々思う。街で見かける若いカップルなんかを見ると、きっと彼らの為にその夜は存在しているのだろうと思う事もあるし、隣の家の庭先でバーベキューを囲む家族がいるとその家族の為にその夜は存在しているのだろうと思う。

 でも毎回思うのは決して私の為に存在してはいないということ。過去には私の為に存在している夜もあったのだと思う。だけどその時はそんな事全く考えずに過ごしていたのだろうし、ましてや「誰の為に?」などと言う事など思うはずもなかった。

 だけどもしかすると、今この夜は私の為に存在しているのでは無いだろうかという気持ちになっていた。ラジオから流れてきた歌のせいだけでは無く、予定もしておらず、予測もできず、なるようになってしまったこの恋の成り行きなんかを考えていたせいだと思う。

 私は貴方のその唇の感覚と、その指の動きと、その肌の感触さえあれば充分だったのに、いつの頃からは貴方は私に言葉を覚えさせようとしていたように思う。貴方が一体誰であるかとか、どういう生き方をしているとか、どんな食べ物が好きかとか、ましてや何を考えているかなんてどうでもよかったのに。

 私がどんなに不機嫌そうにしていたって貴方は何かと話をしていたし、しかもとても他愛ない男と女の関係においては本当にどうでもいい話ばっかりしていて、頃合を見計らってはくだらない話をして。そのうち私の不機嫌さなんて全て覆い尽くす勢いで、私に笑顔を与えてくれて。

 笑ってしまってはもうおしまい。なるべく記憶に残すまいと我慢を重ねてきた貴方の言葉の全てが、私の中に一気に雪崩れ込む。殊更男に関しては物覚えのいい私が我慢をしているのだ。貴方のその肉体の感覚と同時に、その他愛も無い貴方の情報の全てが私の全身に蓄積されてしまう。

 逃れようが無かった。ラジオの歌で涙を流して気がついたのだけど、私の体は貴方の情報で埋め尽くされていた。体の何処をとってみても貴方の感覚が甦ってくる。ましてやそれらは言葉と言う最強の接着剤で武装されている。

 私の軟な精神じゃその感覚を破る事も出来ないし、その言葉の全てを洗い流す事など絶対出来ないと気がついたときにラジオから歌が流れてきていた。本当にそれは愛と言う代物で、それは私を救ってくれるのだろうか、と。

 当然私だけの物じゃないのは分かってる。だけど今この夜は私の為にだけ存在してくれててもいいと思った。いや、私の為だけに存在してくれていていないと、そう思っていないと気が狂いそうになってしまうから。



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