|
花 私は休日を利用して小さな旅をしていた。電車に揺られながらの初夏の緩い日差しが余りにも心地いいので、あてもなく次の停車駅で降りてしまった。ちっぽけな改札を抜けると数件の商店と、夜になれば光が灯るのであろう店が数件。左手には住宅街。右手にはその街を見下ろせるであろう小高い丘が見えた。私はとりあえずそこへ向かった。 道の途中から舗装が切れていた。申し訳程度に伸びる雑草と乾燥した土の上を歩いて丘の頂上を目指す。大きくはない街が目の前に広がり始めていた。あと少しで頂上だというところで足元に目を奪われる景色が広がった。花の群生だ。 身の丈が30センチほどの、薄紅と橙が混じったような色の5枚の花びらを持つその花。まるで桜の花びらのようでありながらも、大きさや形が桜とは違う。その花の群生の中でも一番手前に咲いていた、一際身の丈の高い綺麗な花の前にしゃがみこんで見とれていた。 僅かに香る花の香り。時折吹く風に微かに揺れる花びら。時間の経つのも忘れて私はその花を眺めていた。そしてこの1輪だけでもいいから、持ち帰って私の家の庭に植えておきたいと思っていた。私はその花の周囲の土を手で掘り始める。摘み取ってしまってはすぐに枯れてしまうだろう。根と周りの土ごと持って行って、駅前の商店で箱でも借りて家へ持ち帰ろうと思っていた。 そうして土を掘り始めているところに、初老の男性が通りかかる。彼のつま先が見えて上を見上げると、その場所にしゃがみこみ微笑みながら私に話しかけるその男性。どうやらこの街の人のようだった。 「綺麗だろ。この花は。」 「ええ、余りにも綺麗だったので、悪いとは思いつつ家へ持ち帰り植えたくなってしまいまして。」 「うん。まあ、これだけ咲いているのだから、それは構わんとは思うが、無駄かも知れんぞ。」 「無駄?無駄と言いますと?」 「この花はね、この街のこの場所にしか咲かん珍しい花でね、街の人々も自分の庭に植えようと持って帰るのだけど、すぐに枯れてしまうのだよ。」 「はあ。」 「面白い事にこの群生もこれ以上大きくなっていないのだよ。何十年も。この場所でしか咲かない花だと諦めて、街のみんなはこの綺麗な花を毎年ここへ見に来るしか無いと思っているのだよ。」 「そうでしたか。でも、何故だか私もこの花の美しさに魅せられてしまったのです。無駄だと知りつつも、持って帰りたい気持ちに変わりは無いんです。いけませんか?」 「いやいや、持って帰るのはかまわんよ。さっき言った通りね。でもきっと無駄だとは思うが。まあ、持って帰るといい。」 そう言うと初老の男性は丘の頂上の向こう側へと歩いて行ってしまった。男性の言った「無駄」という言葉を気にしながらも、私はその花の周囲を懸命に掘っていた。細かい根も傷つけないように、私の手が届くか届かないかギリギリの所まで潜っていた深い根の最後を見つけて、私はその花をその場所から引き抜いた。 余っていた土をその場所に埋め、花を抱えて私は駅へと向かった。街の商店で根がすっぽり入るぐらいの箱を貰い、根を充分湿らせてから列車に乗り家へと帰った。 家に着くと早速私は庭の一番眺めのいい場所に穴を掘り始めた。日当たりも良く、土の具合もいい感じだ。そっとその花を掘った穴に入れ、土をかぶせた。水をやり、1輪ではあるけど変わりの無いその花の美しさに見とれていた。薄紅と橙の混じったその花びらはやはり綺麗だった。 数日後、花の元気が無くなっていた。凛としていた茎は曲がり、花びらにも皺が寄っていた。私は慌てて水をやる。そのまま何処へも行かず眺めていると、ほんの少しだけ花の美しさが蘇って来た。それでも様子がおかしい。やはりあの初老の男性が言っていたように「無駄」だったのか。 私はありとあらゆる手を尽くした。たかが1輪の花の為に、と笑われながらも庭の土を全部業者に入替えてもらい、日の光が1日中良く当たるように邪魔になる木も全て切った。勿論隣の家にも頭を下げお金を払い、木を切ってもらったりもした。根が腐らぬように頃合を常に見計らって水をやり続けた。 どうだ、やっぱり咲いているじゃないか。あの丘で見た時と同じ美しさで。日の光が必要だったのか、水が必要だったのか、風が必要だったのか分からない。だけど、こうして咲いているじゃないか。あの初老の男性が言っていた「無駄」という言葉は嘘だったんだ。 いや、ある意味嘘じゃなく本当なのかも知れない。どんな花にだって寿命がある。その時が来たらあの男性の言っていたことは間違いない事になる。だけど、枯れてしまうのと、枯らしてしまうのとでは意味が違うじゃないか。 枯らしてしまうものだと知りながら摘み取ってしまうのと、その美しい花をいつまでも眺めていたいと、その寿命まで、枯れ果てるまでと、その花の全てを持ち帰るのとでは意味が違うのだ。 花を美しいと思い、その美しさを只々愛でたいと思い、しかしその場所に立ち尽くす事を許されぬのなら、こうする他に方法は無いだろう。そしてその思いで花を咲かせ続けようと思うのなら、枯れてしまう花などこの世にある筈が無い。 庭に咲くこの美しい花を眺めながら、そんな事を考えていた。そしてもしかしたらあの初老の男性は今の私と同じような事を過去にやっていて、この花の寿命を見届けてしまったのでは無いかとも思ったりもしていた。 |