ある冬の出来事



 なんであの時泣いていたのか記憶を辿ってみた。

 多分その時彼女は酔っ払っていて、一人で居るところに私が電話したのか、彼女の方からかけてきたのか。なんの他愛の無い話が1時間ぐらいは続いていたのであろうと思う。その頃既に多少の色気のある話はしていたはずに思う。日中でも好意のある女には「愛してるよ」とほぼ挨拶代わりに言う男だったのだから。

「そろそろ家へ帰る。」

 今思えば、その時彼女は一言も言いはしなかったけれど、真冬の夜に一人で寂しい思いをしている、しかも電話の相手が多少などとはいえない恋心を抱いている相手だという事を、私は気が付いていたのだろうかと思う。

 多少なりとも気がついていたのだろう。しかし気がついていたとしても、私の感情がどれほどの大きさの物なのかは知らなかったし、彼女のそれと天秤にかける方法も当時の私は知らなかったのだと思う。しかし、その相手からそれを言われたらどんな気持ちだったのであろうと思う。「複雑」などと簡単に言い切れぬほどの、思いだったのでは無いだろうか。

「どのくらいで着くの?」
「後30分ぐらい」

 この言葉が彼女の何処かのスイッチを押してしまったのか、会社を出て暫くは堪えていたのであろう感情が彼女の中から沸々と湧き始める。甘えだしたのかどんな雰囲気だったのかは思い出せないが、とにかく「酔いに任せて」のそれとは明らかに違った感情が露呈し始めてるのは感じていた。

「いい気なもんだよねー。こうやっていい女が一人で寂しい思いをしてんのに、帰っちゃうわけー?」

 冗談交じりに彼女が話し始める。

「そんな一人で帰っちゃう男は呪ってやるー!」

 自分がどんなに我儘言ってるのかも分かっていたはずの彼女から、どうにも抑えきれなかったのであろう言葉が出始める。

「っていうかさー、『好きだ』とか『愛してる』とか良く言うけど、どう考えたって社交辞令だよねー」
「社交辞令じゃないよ。そう思ってるから言うだけでさ」
「えー、じゃあなにー、それなのに帰っちゃうのー?」
「・・・・・・・」
「ほらー、やっぱりー」

 そんなやり取りを続けていくうちに、彼女の声は大分上擦って来ていたと思う。

「そんなこというんだったらさー、証明してよー。ほんとにー」

 怒っては居なかったとは思うが、それに近い感情も入り混じって来ていた。

「はやくー、証明してよー。どのくらい愛してるとか、好きだとかー」
「そんなの証明できなかったら、ただの口先だけだよー」

 その時私は困っていたのだろうか。それとも可愛いとでも思っていたのだろうか。今思うと何を考えていたのか分からないのだけど、とにかくその時に私が言った言葉はとんでもないものだった。

「どうなのよー」
「あ、うん」
「うん、じゃなくてー」
「んー、じゃあ、ほら口じゃ証明できっこないからさ」
「うん」
「証明する為にセーターを編むよ」

 私がこの言葉を言った瞬間、彼女は大笑いをした。「絶対だぞー。絶対編めよー」と言いながら。そしてその後彼女の感情は行き場を失って、一気に表面に出てくる。泣き出したのだ。しかも「さめざめ」などというものではなくて、それはまるで子供が泣き出すかのように声を上げて、わんわんと。或いは「ふえーん」という感じか。

「ばかー。ずるいー。こんな時に笑わせるなんてー」

 泣きながら彼女は言う。そのあと笑っては泣き、泣いては笑い、私はなんとかその言葉から連想されるくだらない事を喋り続け、その場の彼女の感情の放出を促した。

 私は感情を抑えきれずにわんわんと泣く女が好きだった。そしてその感情を私の前でキチンと露呈してくれる女が好きだった。まさか電話の前の女がそう泣くとは知らなかった。私は多分その瞬間から彼女に惚れだしたのだと思う。





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