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玩具 よく気が付いて、よく見ていてくれて、決して自分の邪魔にならず、いわば空気のような存在であって、自分を暖かく包みこみ、常に癒しを与えてくれる。そして知的であって、それが自然と滲み出る。少女のように笑い、恥ずかしさを知り、それでいて妖艶である。 それを果たして「女」と呼べるのだろうか? それは「玩具」と呼ぶのに相応しいのでは無いだろうか? おもちゃは壊れたら捨てればいいのだ。何処にだって売っているし、替わりはいくらでもある。次々と目先を変えた新しいおもちゃは発売されているのだ。気にすることは無い。みんな誰でもやっていることだし。飽きてきたら捨てたってかまわないし、わざと壊してまた買ってもらったっていい。新しいおもちゃはいつだって新鮮だ。 女性に求める部分の全てをまったく同じように自分に求められて、一つの嫌悪を感じずに応えてあげることが出来るなら、男は何を求めてもかまわないのだろう。そこには社会的通念などは一切交えずに。 何の手も加えずにそこにすでに存在するものが傍にいるのは気持ち悪くないか?無条件に吸える空気より、乾かないように、濁らないように、波が立たないように気を使って、そこに映る自分の顔を眺めながら、溢れ出す水を飲みたいとは思わないか? 注ぎ続ければ水は必ず溢れ出す。人の体を通り溢れ出す水はおいしいのだよ。 |