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まずは生きること 何を何処で成立させているか、或いは成立していると思っているかは、人それぞれで。 しかし私が思うのは「極平凡な日常」というものを成立させずに、快楽だの刹那だの嫉妬だのを感情の中に浸透させ、それを自らの全てと信じきった所で先へ進む要素など何一つ発生する事は無く、例えば「堕ちる」方向へしか向かないのであろうか。 堕ちてしまえばいいのかも知れない。例えば二人がそう望み、それが本望だと信じきる事が出来れば、それでいいのかも知れない。しかし問題は堕ちた先にきっと表れるであろう「生への欲求」だ。 本来脳への危険信号である「痛み」を「快感」というキーワードに変換していたり、自らの思考の浅さ、甘さをを起因として起こっている状況を「刹那」というキーワードに変換していても、所詮人間も動物、生への欲求は最終的に訪れる。 そうなった時には堕ちた先から自らの力で這い上がる事は不可能であろう。狂気と闘い、泥だらけの海に息を止めて身を投じ、自らの身を切り刻みながらでもその中から引き出す者が居なければ、堕ちたまま生への欲求を抱えたまま何処かへ消えてしまうしかない。 そして「極平凡な日常」の中に、自らの為に身を投じてくれる人間が居るのだと思う。 |