二人の儀式



 誰にも見られたく無かったので、町のはずれにあるここ数年閉鎖されたままの工場をその場所に選んだ。僕はこの間この工場には誰も居ない事を確認していたし、一つだけ鍵のかかっていない窓を見つけていたので、先に中へ入って君の来るのを待っていた。

 先ほどまで太陽が照り付けていたが、僕が工場へ入るときぐらいに曇り始め、湿度が急に上がって来たのを感じていた。工場の中は風が通らないせいと、照り付けていた太陽のせいで異様に蒸し暑かった。見渡してみるとすっかり錆付いてしまったプレスの機械や、棚に整理されたボルト類、壁には見たことも無いような工具が綺麗に掛けられていた。

 振り出した雨にも気がつかず埃の被った加工台の上に座って、僕は君が来るまでの間色々と考えていた。君と初めて出会った時の事、君と初めて手を繋いだ時の事、君と初めてキスをした時の事、この儀式が終わって僕と君に訪れる未来の事。そしてこの儀式をしたかったもう一つの目的の事。

 物音に気がついて振り向いてみるとずぶ濡れになった君が立っていた。君の後ろにある窓を見てみると外は物凄い雨になっていた。君が肩で息をしてるの見ると、来る途中で雨が降り出し君は走ってここへ来たのが容易に想像できた。泥だらけになってしまった制服のスカートの裾からは雨が滴り落ちて、君の足元に小さな水溜りを作っていた。

 息を整えながらゆっくりと僕に近づいてくる君の顔はいつもと変わりなかった。感情をそれほど表に出さずいつも冷静な印象を放つ君の表情は今日も変わらなかった。雨で顔が濡れていて涙を流しているようにも見えたけど、君に限ってそれは無いと思っていた。

 僕が座っていた加工台の上では暗すぎだったので、二人は無言のままで儀式をする場所を探した。二人は工場の端にある小窓の下の作業台をその場所に選んだ。太陽が無くそれほど明るくは無かったが、二人の儀式を確認するには十分な明るさだった。僕は傍にあった布切れで作業台の上を拭き埃を掃い、そしてズボンの左のポケットから、今朝刃を交換してきたばかりのカッターナイフを取り出した。

 作業台は少し低かったので、二人は台に跪いて向かい合った。こうして手を台の上に差し出すと、ちょうど目のすぐ下の辺りに手が来る格好になった。僕はカッターの刃を出し、左手の掌に刃を当てた。そして君の顔を見ると君は顔に付いた雨を拭き取ろうともせず、僕を見つめ返し静かに頷いた。今度も君の顔は泣いているように見えた。

 僕はカッターで掌に切れ目を入れた。すぐに血が止まってしまうとせっかくの儀式が駄目になってしまうので、少し深めに刃を掌に食い込ませた。食い込んだ刃を離すと血が流れ始め、掌を伝って手首のほうまで血は流れ出した。僕は血が下に落ちるように掌を返し、台に静かに血が落ちていく様子をじっと見ていた。

 君を見てみると君も僕の掌から落ちる血の様子をじっと見ていた。いつもと同じように表情を変えず、ただじっとそこにある現実だけを見つめているように。血の溜まりが台に少し広がった所で君は僕のほうを見直し僕に右手を差し出した。僕は持ってきていたハンカチを左手に握り締め、カッターの刃を持ち替えて君に渡した。

 台の上に落とされた僕の血は、工場の中のじっとりと湿った暑さと窓からの薄紫の光のせいで、ゆるやかに揺れているように見えた。日に焼けた台の白が少しだけ透けて見えた。僕は目を上げ、僕と同じようにカッターを右手に握り左手に当てている君の顔を確認した。

 僕と少しだけ目が合い、君はすぐに自分の手を見つめた。君は首を殆ど曲げず目線だけを下げていた。髪の毛から雨が一滴、君の睫毛に落ちた。その滴に瞬きもすることなく、君は儀式に集中しているようだった。僕はもう一度君の手を見る。

 すでにカッターの刃が君の左の掌に食い込んでいた。君は何事も無かったかのような表情で刃を掌で滑らせ白い掌に赤い一本の筋を作った。掌から僕と同じ色をした赤い血が僕の血の上に落ちる。君の血だ。

 僕はこの瞬間が見たかった。君が僕とこれからの友情を誓い僕の血の上に君の血が落とされる瞬間を。そして君の血そのものを見たかった。君の白い掌の上を赤い血が静かに伝い流れ落ちていく様を見つめながら、僕は密かに勃起をしていた。

 僕の血と君の血が交じり合うのを確認して儀式は終わった。そして君を抱きしめキスをしたということが全て過去の物になり、これから君と僕とを結ぶのはこの儀式で誓った友情だけだと言うことを確認し合ったのだ。

 これから決して会う事は無く、声を聞くことすら出来ないという未来が待っていたから、二人はその瞬間確かに一緒に居たという事実を、君と僕は欲しかったのだろう。外は小雨になり窓から日が少しだけ射して来た。そして二人の落とした血は次第に硬くなっていった。





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